天才ではない。好奇心に情熱を傾けているだけ

過去のすべての自分を全否定して今言えることは、
俺は天才でもなんでもないということだ。
ただ、自らの好奇心にシンプルに従って、それにワクワクして
「自分ならこうする」というのを押し出し続けていける人間だと。
自分の歌を全力で歌える人間なのだということだと。
それが俺であって、積み減らしシンプルに尖った日本刀になりながら、
世の中に切り込んでいく。そういう凄みを常に発揮し続けることだと思う。

昨夜の華々しい血吹雪を撒き散らした行動に充実している。
結果はまだ出ていないが、これがまさに重要なプロセスというものだ。
プロセスに歓喜しているのだが、それに加え結果が出たら歓喜し、
結果が出なかったら感謝するだけだ。

それでもワクワク結果を待ち望んで寝不足な自分は、
好きな女の子のことを考えて寝れない子供と同じだ。
それは平安とは違い、戦乱だが、それでいいのだ。
地に足がついていなく、浮き足立っているが、それでいいのだ。
ピカソ岡本太郎のようにここから死ぬまで子供でいる覚悟が自分にはあるから。

平気で苦しく積み減らし、それが積み上げになり、
平気で孤独に爆発し、それが創造になる。
そういう矛盾を平気で傷つきながら生きていく。
それが何より燃える。

まさに「自分が生きている実感を持てること」にプライドを持った今なのだ。
この瞬間瞬間も平気で恥ずかしい文章を誰にも隠さず、打っている。